FC2ブログ

SARASVATI
三宅千鶴のオリジナル小説ブログ 

第2章-4

「おー!」
 当麻が推しただけあって、壁一面のガラス窓から見える都会のパノラマは冬の青空に映えて美しかった。
「きれいだな」
「でしょ」
 当麻は壁に沿って延びる木製のカウンターテーブルにトレイを置いた。

「早く食べないと麺がのびてしまいますよ」
 と、ガラス窓の向こうの世界を夢中で見ている貴大に呼びかける。
「おまえはもう食べたのか?」
 貴大はカウンター席に座りながら聞いた。
 先まで当麻が座っていたらしい隣のテーブルには、サンドイッチの空き袋とコーヒーを入れた紙コップが乗っていた。
 そして、英語で書かれた分厚い遺伝子工学の専門書も。

「その本、アメリカで出版されたばかりのものだろ?」
 貴大は眼を輝かせて本を覗き込む。
「よく入手できたな。翻訳本が出たら、俺も買おうと思っていたんだ」
 専門の話になると、他の現実すべてを忘れてしまう質なのだ。
「本は後で見せてあげますから、まず蕎麦を食べてください」
 しょうがないなと笑い、当麻は腕を伸ばして貴大の手に箸を持たせた。

 貴大は食い入るように本を見つめたままで、反射的に蕎麦をすする。湯気で曇る縁なし眼鏡を何度も指で拭きながら食べる貴大を見ていると、
(眼鏡、外して食べればいいのに)
 と思えてくるが、そんなところに気づかない不器用な貴大が誰よりも愛しいのだ。
 貴大は、また眼鏡のガラスを指で拭いながら言った。

「おまえは性格に色々と難があるけど、勉強熱心なところは認める。向上心のない他の社員たちに見習わせたいくらいだ」
 さらに蕎麦を一口すすり、
「おまえは会社勤めより、研究職の方が向いているのかもな」
 と、当麻の本心をズバリ言い当てた。

「あなたには時々、本当に驚かされますよ、佐野さん」
「ん?アメリカの研究室に戻って研究を続けるつもりなのか?」
「ええ。いずれ。アメリカに戻るかこのまま日本にいるかわかりませんが、色々な事に片を付けられたら」
「どういう意味だ?」

 これまで貴大と個人的な話をしたことはない。
 仕事の話題しか貴大の興味の範疇にないからだ。ただふと、こうして自分のことを話すことが、少しでも二人の距離を縮めていくのではないかと思えてきた。
 当麻は、可能なところまでを語ってみることにした。

「俺の母がですね、遺伝子治療が必要な重い病気になったんですよ。俺が10歳くらいの時」
「――え」
 意外な打ち明け話に、貴大は箸を止めた。
「遺伝子治療には多額の費用がかかります。父は全財産をはたいて、借金までして治療費を作ったんですが、母は俺が中学校に入る前に亡くなりました」

「そうか。なんか、立ち入った話を聞いてしまったな」
「いえ。佐野さんには知っておいてもらいたいなって思ったんです」
 当麻は薄く笑って続けた。
「母亡き後、残ったのは信じられないほど多額の借金と、愛する妻を失くして打ちひしがれた父だけ」
「………」

「その時、母の親戚が手助けしてくれたんです。借金をすべて払ってくれて、俺の学費とかその後の面倒まで見ると言ってくれて――ただ父は、親戚との話し合いで命を使い果たしてしまったのかストレスが蓄積していたのか、数日後に心筋梗塞を起こして急死しました」
「……やっぱり、悪いことを聞いてしまった」
 俯く貴大の左手を、当麻は右手でしっかりと握りしめた。

「両親は心底愛し合っていた夫婦でした。そんな二人の間に生まれることができて、俺は幸せだったと思います」
 当麻は悲しい過去を感じさせない笑顔でキッパリと言う。
「それから俺は、親戚に引き取られて大切に育ててもらいました。将来は遺伝子工学を勉強したいと話したら、中学からアメリカに留学させてくれて」

「おまえが遺伝子工学を学びたいと考えたのは、遺伝子治療が効かなかったお母さんのことがあったからなのか」
「そうです」
 当麻はしっかりと頷いた。

「俺はもう他の誰にも、母のように死んでほしくない。そのために自分のできることをしていきたいんです」
 ただ、と言葉を継いで当麻は苦笑う。
「やりたいことをする前に、借りたものは返したいんですよね。親戚はいらないと言ってくれますが、それに甘えてしまうと本当の意味で自由になれない気がして」

「それでおまえ、うちに入社したんだな。働いて借金を返すために」
「まあ、ザックリ言えば、そんなところです」
 妙なところで勘のいい貴大に、今はそれ以上の事実を語りたくなかった。当麻は貴大のことをもっと知りたくて、話を振ってみた。


  次へ
スポンサーサイト



Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://sarasvati18.blog65.fc2.com/tb.php/1247-140c6de2