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SARASVATI
三宅千鶴のオリジナル小説ブログ 

第3章-2

 貴大は出会った最初の時に、
『事務的なことはしばらくきみに任せるから』
 と宣言していた通り、国籍雑多な研究員たちに指示を徹底させるのでほぼほぼ毎日忙しく、ディレクタールームに座っているのを見たことがない。つまり、祥希はまだ、貴大とロクに話をする機会さえ与えてもらえないでいた。

 どうしても彼の判断を仰がなければならなくなった時、一度だけ、研究室に出向いて彼を捕まえてみたことがある。
 その時、
『わからないものは俺のデスクに置いておけ。後で見る』
 と、凍るような眼差しで追い返されてしまった。

 それ以来、ますます彼が怖い存在になってしまったのだが、ここではマイノリティである日本人の研究員たちも祥希と同等の恐怖感を彼に対して抱いていることは、研究室に漂う空気から察することができた。

『織部さんなら、そんな無理難題をここに持ち込まなかっただろう』
 とか、
『織部さんなら、事前にもっと私たちの話を聞いてくれたはずだ』
 とか、日本人スタッフたちが秘かに陰口を叩くのを祥希は何度も耳にしていた。

 彼らは、祥希と同様に、日本人らしい穏やかさでリーダーシップを取っていた織部を未だに慕っていた。多数を占める異邦の研究員たちは、ドライで実利主義の貴大の仕事のやり方が性に合っているようだった。

(仕事のやり方はそれぞれあっていいんだろうけど………俺はやっぱり織部さんがいてくれた方がよかった………)
 業務の遂行についてはどちらが良いとか、一概には言えないのだろうが、祥希は仕事と関係なく、織部に会えないことがひどく寂しかった。一緒に仕事をしていた頃が恋しくてならなかった。

 その時までは、織部への想いは単純に優しく導いてくれていた上司への敬慕であると疑いもしていなかったのだが。

 その時。
 つまり、貴大と同じく東京から第3研究棟に異動してきた藤崎当麻と言う青年が、足しげく第1研究棟に現れるようになった時、と言う意味だ。
 藤崎当麻は背が高く、知的で爽やかな風貌が印象的な美青年だった。

 伝え聞くところによると、彼は元々貴大の下で働いていたらしく、すでに誰もが恐れる存在となっていた貴大に平気で近づき、よく二人で話をしていた。
 祥希が二人を直で見ることはほとんどなかったのだが、これもまた伝え聞くところによると、どうやら二人は恋愛関係にあるらしい。
 しかも、さらなるウワサによると、当麻は速水社長の孫であるらしく、彼らが同時に大阪に異動になったのは、彼らが恋愛関係にあることと無関係ではなかったと聞く。

 それでもまだ、
(男同士で……恋愛関係……??)
 それがどう言う意味なのか、今一つピンときていないほど、祥希は恋愛に対して疎い。いや、鈍かった。

 様々な変化が付き物となる4月も、10日ほどの時間が流れていくうちに、新しくルーティン化した習慣にも馴染んでいくものだ。
 貴大と当麻のケースも同様と言えるだろう。

 早朝の電車に乗って職場に向かうために貴大がマンションを出て行った後、当麻は家事の傍らに二人分の弁当を作ってから車で出勤する。
 職場では昼休みに二人で弁当を食べて、退社の時刻になれば二人で車に乗ってマンションに帰る。帰路の途中で夕飯を食べることもあるが、基本的には一緒にスーパーで買い物をして、自宅に戻ってから当麻が晩ご飯を作る。

 ほっておくとご飯も食べず、夜は何時まででも残業してしまうのが習慣化している貴大のために考えた新ルーティンだった。そしてこのルーティンは、常に貴大との関わりを保つため、当麻にとっても必要なものだった。

 新しい生活様式について、最初に貴大に説明したところ、残業を規制されることに難癖をつけてきた。それでもその他の点についてはおおむね納得できたようだった。
 家事は全て当麻がすると明言したのだから、文句のつけようがなかったのかもしれない。

 残業については、当麻も少しだけ譲歩した。
 残業をしなければならない事態になった時は、必ず当麻に連絡することと、当麻が彼を手伝うと言う条件で、どうにか折り合いがついた。

 一方、貴大からは、二人の夜の営みは週末だけにしてくれと要望が出された。当麻は、善処しますとだけ応えておいた。
 貴大の体力と環境の変化によるストレスを考えたら、仕事が軌道に乗るまで当面の間は自粛するしかなさそうだ。

(いつかは佐野さん……仕事より俺のことを好きになってくれるのだろうか………)
 そう思わずにいられなかった。それでも今は、好きな人と一緒に暮らせるようになっただけ良しとするしかないのだろう。
 心底惚れた相手が仕事と本の虫だったのだからしょうがない。
(とりあえず、俺もこっちでの仕事を覚えないといけないし)

 当麻が配属されたのは木津川研究所の第3研究棟。
 貴大のいる第1研究棟から見て、中庭を挟んで向かいに建つ研究棟になり、主任研究員のサポートをする主任補佐が主な役割となる。

(第1棟の主任補佐になれたらよかったんだけどな)
 貴大の間近で働けないのが不満だったが、これもまた、いつでも顔を見に行ける距離で働けるだけ良しとするしかないのだろう。


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