第六章 高野山(1)

  第6章   高野山

「具合は如何です、ア=スラ?気分は悪くないですか?」
「悪くないよ」
  これで何度問われたろうと苦笑しながら、可也は車の窓から隣座席へ視線を回した。
 セ=フォラの不安げな顔がそこにあった。
「心配しなくていい。記憶処理もちゃんとできている」
  大丈夫と笑って、可也は彼女の白い頬を指で撫でた。

 記憶―。
 それは、ア=スラとして生きた時の記憶である。
 ともすれば記憶回路が破裂しそうに膨大な量、一大宇宙叙事詩めいた時の流れ自体を、可也は一個の知識として、脳に組み入れていた。
 意識すると、ア=スラの記憶は古い映画を再生するように脳裏に浮かび上がってくる。
 意識しないでいると、それは莫大だが、何の影響も及ぼさないデータの集積である。
  故にここに、黒塗りのリンカーンの後部座席にくつろいでいるのは、穂積可也である。
  と言うよりむしろ、可也の人格が、元々ア=スラ自身だったと言うべきかもしれない。
  それでも先刻までは、氾濫する無限の記憶の奔流に、危うく我をなくすところだった。
 一歩前で免れたのは、昨夜ふと、シオに過去の記憶の処理法を聞いていたから。
『要は、記憶は知識として納め、感情抜きで見るんだ』
 と、彼女は語った。
  当時の感情が混じると、否応なしに現在の精神に多大な影響が出る。
 自己防衛本能が生じさせた苦肉の策だったが、可也は器用にもそれをやってのけた。

 ―それにしても。
「それにしても、セ=フォラ、みんなはよく過去の記憶に飲まれないで、平然としているよな」
 と問われ、セ=フォラは困った顔をした。
「飲まれた上での平静なんです、彼らのは。何と言いますか、記憶覚醒後の自己の置き方があなたと違うのです。彼らは全員、シュラの記憶に自己を置いています。地球人であった記憶を知識として。つまり、あなたと正反対の処理をした訳で、これは正直な話、私の計算違いでした。どうも穂積可也…」
  そう言って、セ=フォラは細い眉をひそめた。
 その愁いを帯びた表情を見ると、
(なるほど、悲壮感漂う巫姫だ)
 と、可也は妙に合点がいった。
「あなたの霊力の強さは、想像を絶していますね。我らが超能力を使えるのに、あなたにできないのもそれ故でしょう。霊力が『魄(はく)』から届くエネルギーさえ遮断しているのです。融合しない限り、完全復活は難しいですね」
「その霊力ってのが、よくわからんのだが」
「心臓に宿る魂を守る力。呼びかける力。統率し、共鳴し、救う力。総じて霊の力です」
「ありがとう。この疑問は迷宮入りさせることにするよ」
  前部座席で、プッと吹き出す声がした。
 助手席に座るサ=ダリの肩が、笑いで揺れている。
 見上げると、サイドミラーでこちらを伺っていた運転手のサ=ヴァと眼が合った。
  京都北部から一気に奈良を南下し、和歌山県橋本市へ至る国道24号線を走る間中、こうして眼が合うたび、彼の大きな黒い瞳は嬉しそうに瞬くのだ。
 サ=ダリも常に増して陽気だった。
  彼らには、可也が可也だろうとア=スラだろうと構わないらしい。
 存在の有無が重要なようだ。
 親を捜す幼子のような想いで、この時を待っていたと、全員が口を揃えて言った。
(親なき子、か。なんだか俺と同じで、こいつらの眼は、まさしくそのものなんだよな)
  そう思うや、またあの蒼眼が心に浮かび、可也は慌ててそれを締め出した。


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